新生活に必要なのは、やる気より“余白”だった

新生活に必要なのは、やる気より“余白”だった

新しい門出は、なぜか駆け足になる

誰かが挑戦を始め、誰かが新しい場所に踏み出す姿を目にして、自分を静かに奮い立たせている人もきっと少なくないのでしょう。

毎年春になると、街の空気が少しだけ忙しく見えます。

世の中のスタートは、春だと決まっているかのように、新しいスーツや制服、まだ硬い通勤靴で、少し背筋を伸ばして歩く人たち。

新生活という響きに背中を押されるように、予定を入れ、慣れない通勤時間を調べる。
そんなふうに、1人ひとりが土台を作ろうとする時期です。

誰かが挑戦を始め、誰かが新しい場所に踏み出す姿を目にして、自分を静かに奮い立たせている人もきっと少なくないのでしょう。

3月31日と4月1日。日付が変わるだけなのに、社内の制度も街の空気も、一斉に動き出します。

本当は昨日と今日の間に、大きな違いはないのかもしれません。
それでも私たちは、この季節になるといつもより駆け足になってしまうのです。

 

呼吸が浅くなるころ

最初が肝心、印象は大事、今やらなきゃいけない。どれも新しい環境に向き合っている証拠です。

新生活が始まってしばらく経った頃、ふと気づくと呼吸が浅くなり、視野が狭くなっていることがあります。

前に進んでいるはずなのに、どこか心が追いついていないような感覚。
「これ以上は頑張れないのかもしれない」

そんな思いがよぎったときには「気づけてよかったね」と、心の中で自分につぶやくタイミングかもしれません。

頑張れない日があったとしても、それはやる気の問題ではありません。少し、詰め込みすぎただけです。
その答えは、時間が経ってみないと分からないこともあります。

最初が肝心、印象は大事、今やらなきゃいけない。どれも新しい環境に向き合っている証拠です。

けれど期待に応えようとするうちに、本当は抱えなくてもよかった荷物まで、いつのまにか手にしていることもあります。

「あの人はもっと頑張っているのに・・・」と思う日もあるかもしれません。けれど、頑張り方も、頑張る限界も、人それぞれ。

もしかすると、必要なのは常にやる気を出すことではなく、ほんの少し呼吸を整える時間なのかもしれません。

 

歩幅をゆるめるという選択

私たちの毎日にも、そんな小さな調律の時間があっていいのかもしれません。 その時間をつくるきっかけの1つが、お茶です。

動きたいのに、動けない朝があります。アラームを止めても、もう1度布団に戻りたくなるような感覚。

もしかすると身体は、心よりも少し早く限界に気づいて「ここで少し待って」とブレーキをかけてくれているのかもしれません。

筆者自身、どこか息苦しさを感じたり、些細なことでイライラしてしまったりしたときに「ああ、休めていなかったんだ」と気づくことがあります。

休憩することに慣れていないと「立ち止まったら仕事が滞ってしまうのでは?」という不安になるかもしれません。

けれど、日常のなかで立ち止まることは、本来の自分を取り戻すための時間でもあります。

例えばピアノも、定期的に調律するからこそ、本来のよい音色を取り戻すことができます。

その間、演奏は一度止まります。けれど演奏者にとって、それは決して無駄な時間ではありません。

私たちの毎日にも、そんな小さな調律の時間があっていいのかもしれません。
その時間をつくるきっかけの1つが、お茶です。

 

目の前の一杯のお茶を手に取る時間

筆者は人生で初めて「凍頂烏龍茶」を飲みました。予約なしでも体験できるスポットがあると知り、その場で思い切ってお願いしてみたのです。 席に着くと「どこからきましたか?」と気さくに声をかけてもらい、少しだけ肩の力が抜けていきました。

なぜお茶を淹れる時間は、こんなにも心を切り替えてくれるのでしょう。
それは茶葉が静かに開いていく時間や、水色が変わっていく時間に、身をゆだねることができるからかもしれません。

ペットボトルの水のように注げば終わりというわけではないし、熱いお茶なら一気に飲むこともできません。そんな少しの不便さが、思いがけず穏やかな時間を作ってくれます。

ようやく飲める温度に下がったお茶を手に取り、ゆっくりと一息つく。
自分でコントロールできない時間だからこそ、たとえ5分でも10分でも、思った以上に長い休憩に感じられるのかもしれません。

今年、筆者は人生で初めて「凍頂烏龍茶」を飲みました。予約なしでも体験できるスポットがあると知り、その場で思い切ってお願いしてみたのです。
席に着くと「どこからきましたか?」と気さくに声をかけてもらい、少しだけ肩の力が抜けていきました。

目の前に並べられた茶器にお湯を注ぎじんわりと温め、あふれたお湯は茶盤が優しく受け止めていきます。その作法1つひとつに思わず見入っていました。

「凍頂烏龍茶」お湯を注ぐ前は、ぎゅっと縮こまっていた茶葉が、やがて花開くようにゆっくりと広がっていく。

お湯を注ぐ前は、ぎゅっと縮こまっていた茶葉が、やがて花開くようにゆっくりと広がっていく。

その静かな変化は、休憩する前と後で少しずつほどけていく自分の心と、どこか重なっているようでした。

一杯のお茶から、こんなにも特別な時間が生まれるのだと、改めて気づかされた瞬間でした。

ちなみに体験した場所は、福島県の玉川村。玉川村は台湾の友好姉妹都市でもあり、こうして本格的な台湾茶に触れられるのも、そのつながりがきっかけになっているそう。
遠い土地の文化が身近に感じられることにも、温かさを感じました(※写真は、実際の体験時のものではありません)

リンク:リーフ|茶葉 – YOGŪ

 

花冷えと、小さな余白

花見の頃になると急に冬のような冷たい日が訪れることもあります。これは昔から「花冷え」と呼ばれているそうです。

窓の向こうでは、春の光を浴びた草花が静かに芽吹いています。桜の満開はもうすぐそこまできています。

けれど、花見の頃になると急に冬のような冷たい日が訪れることもあります。これは昔から「花冷え」と呼ばれているそうです。

人の心にも、そんな花冷えのような日があるのかもしれません。無理に咲き急がなくてもいい理由が、そこにあります。

意外なことに、桜は花冷えの日があることで、満開の見ごろが少し長く続くのだそう。
春の季節にもゆらぎがあるように、私たちもゆらいで、立ち止まる日があるのかもしれません。

新緑へ向かう途中の、ほんの少しの時間。

無理に急ごうとせず、ふと顔を上げて窓の外を眺めてみる。そんな余白があるほうが、春の季節もゆっくりと感じられる気がします。


春の一杯、桜茶

春はどうしても、駆け足になりがちな季節です。 けれど、ときには立ち止まる時間があってもいい。花冷えとともに、心まで冷たくなる必要はありません。

余白の時間のお供に、桜茶をいただくのもよいかもしれません。

緑茶を注ぐと、塩漬けにされていた桜の花びらが、ゆっくりとその形を広げていきます。湯気の向こうで、淡い桃色が少しずつほどけていく。その様子を眺めていると、張りつめていた気持ちも、どこかゆるんでいくような気がします。

春はどうしても、駆け足になりがちな季節です。
けれど、ときには立ち止まる時間があってもいい。花冷えとともに、心まで冷たくなる必要はありません。

春らしい余白が、心の緊張までも、少しずつほどいていきます。
焦らなくても大丈夫な歩幅が、きっと見つかるはずです。

関連記事:なぜ休んでいるのに疲れが取れないのか – YOGŪ

 

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